こんにちは、こんばんは。
「勉強をしなさい!」と色んな人から言われるけど、どうしてもしたくない。
そもそも勉強なんて、本当にする意味があるんだろうか。
そんな風に思いながら頑張っている皆さんと共有できたらと思い、今回の記事を書かせていただいています。
悩んでいる方のヒントに少しでもなれば嬉しいです。
- 「必要かどうか」で判断する
- 勉強がつまらなくてもしかたない
- 将来の夢はある?
- 将来の夢に勉強は不要と感じたら
- どう生きるにも、ある程度の努力が必要
- 勉強は一種のモノサシ
- 勉強をどうしてもやりたくない人は
- 勉強は役に立つ?
「必要かどうか」で判断する
結論からお話をさせていただくと、勉強をやらなくちゃいけないのか悩んでいる人は「本当に自分に必要かどうか」を一度本気で考えてみてほしいなと思います。
本気で考えたうえで、自分には勉強は不要だと判断できれば、それも立派な選択肢。
次からもう少し、説明させていただきます。
勉強がつまらなくてもしかたない
勉強がつまらなくてつまらなくて仕方ない。
これはしょうがないことだと、私は思います。
他の事だってなんだって、好き嫌いは当然ありますもんね。
なのに勉強だけが特別扱いされて、「本来は楽しいものなんだ」とか「好きになれ」とか。
そんなの無理です。
(この辺の事は↓にも書いていますので、後で良かったらどうぞ。)
つまらないのに、なんでやらなくてはいけないのか。
ここに納得できないと、勉強したくなんてならないですよね。
納得できないことは、いつまで経ってもやりたくなんてならない。
これも自然な事だと思います。
じゃあ「勉強すること」に納得するには、どうすれば良いのか。
その答えが、今回の話の結論である「必要かどうか」を感じる事なんです。
必要だと感じられれば、つまらない事だろうが嫌な事だろうが問題なくやれます。
歯を磨くのは、楽しいからではないですよね(楽しいという人もいるかもしれませんが)。
楽しくもなんとも無いのに毎日磨くのは、健康な歯を保つ為に必要だと分かっているから。
勉強だって、これと同じなんだと思います。
将来の夢はある?
勉強が必要かどうか判断するにあたって、今の時点で将来の夢があるかどうかが最初のポイントになると思います。
もし将来やりたいことがあるのなら、
「そのために勉強は必要なのか」
「必要なら、どのくらいの勉強をすべきか」
を調べてみましょう。
それがそのままあなたの勉強における最終目標になり、夢をかなえるためには何が何でも越えなくてはいけないカベになります。
後は自分がやるかやらないか。
「したいか・したくないか」なんて、考える意味が無くなります。
自分が勉強に向いているかどうかだって、考えるだけ無駄です。
叶えるにはやるしかないんですから。
やらないのであれば、絶対に夢は叶いません。
(こちらの記事↓も良ければ是非。)
将来の夢に勉強は不要と感じたら
将来の夢は決まっているけれど、
「自分の夢には勉強は必要がなさそうだ」
という人もいると思います。
その場合は、その夢が叶わなかったとしても後悔しないかどうかを考えましょう。
やりたいことをやって生活が出来ている人はとても少ないです。
どんなに頑張っても夢が叶わない事だって普通にあります。
その時に自分に何も残っていなかったら、生きていくのって結構大変です。
それでも、
「もし叶わなかったとしても、自分は構わない」
「他の事をやるなんて考えられない」
そう本気で思えるなら、勉強をしない選択だって尊重されるべきです。
知り合いに自分の夢と同じ仕事で生活している人がいるのであれば、一度話を聞いてみると良いと思います。
「勉強をする必要があると思うかどうか」を。
本当に自分の憧れで、「この人みたいにだったらなりたいな」と思える人。
その人が本気で「勉強は要らない」と言っているのであれば、勉強をしないという選択肢もアリだと思います。
自分の夢とは違っても、好きな事をやって生活できている人が近くにいるのなら話を聞いてみるのも良いですね。
どう生きるにも、ある程度の努力が必要
夢を実現して生きていくには、もちろん圧倒的な努力が必要ですよね。
けれどそうじゃなく将来の夢なんて無かったかったとしたらどうでしょうか。
私もそうでしたし、「夢なんて無い!」って人だって沢山いますよね。
(こちらの記事↓もご参考にしてください)
夢が無ければ、努力する必要は無いのか。
悲しいですがそんなことはなくて、生きていこうとしたらどこかである程度頑張らなくてはいけないものなんだと思います。
何かの技術を磨いたり、人脈を築いていったり。
どんな生き方をするにしても、ある程度の努力が必要になってしまう。
だから大切なのは、「どこで頑張るのかを決める事」なんです。
「何もしたくない」「頑張りたくない」と思い続けていても、生きていこうとしたらいつかカベは現れます。
何らかの努力をして、そのカベをクリアする必要がある。
そしてその中で、多くの人にとって一番分かりやすい努力の形が勉強なんだと思います。
勉強は一種のモノサシ
勉強は、ほぼ全ての日本人が学校で経験しています。
だから日本中の誰とでも比較がしやすく、「努力の度合いを示すモノサシ」としてはとても便利なんです。
範囲と期限だけ決めてテストを受けてもらうだけ。
それだけで、誰が何点かハッキリしますから。
勉強くらい分かりやすいモノサシは、他ではあまり多くありません。
だから勉強をどうしてもやりたくないと思ったら、他の事でもっと頑張らなくてはいけない。
「頑張ってます!」
と主張しても、評価の基準が人によってマチマチ。
だから「頑張ってるアピール」をすることが勉強よりも難しくなるんです。
勉強をどうしてもやりたくない人は
先ほどのお話の通り、勉強はモノサシとしてとても優秀です。
けれどもモノサシはあくまでもモノサシ。
勉強の他にだって自分を表現できる世界は沢山あります(それでも卒業はしましょう)。
勉強をただただやりたくないと言う人は、「じゃあどこで自分は頑張るのか」を考えてみましょう。
勉強はモノサシの一つに過ぎませんから、別の所で一生懸命頑張るのであれば全く問題ないと思います。
ただ一つだけ、勉強をやらない言い訳を考えるだけでは、結局後で更なる努力が必要になってしまうということは注意しておいてほしいです。
勉強は役に立つ?
最後に、「勉強は社会に出たら役に立たないのか」についても少し考えてみたいと思います。
結論から言いますと、勉強が直接役に立つことはあまりありませんが、勉強するたびに見える世界は変わってくるものなんだと思います。
英単語を覚えただけではお客さんは増えませんし、方程式を活用できるだけでは誰も代金を払ってはくれません。
勉強だけでお金を稼いで生活できる人は、本当に限られた人たちだけです。
けれども、それじゃあ勉強に全く意味が無いかと言ったらそんなことは無いと思います。
勉強をして知識が増えてくると、一つの物事に接した時に、より沢山のことが思い浮かぶようになってきます。
テレビのニュースを見た時。
友達と話をした時。
漫画を読んだ時。
お気に入りの動画を見た時。
最初は、感想や思う事はせいぜい一つとか二つくらい。
それが知識が増えていくウチに、四つも五つも思い浮かぶようになったりする。
少し大げさに書きましたが、勉強するってそういう事なんじゃないかと個人的には
思います。
物事を色んな面から評価して、幅広い視野を持って意見を出す。
それは人生経験を積むことでももちろんできる様になると思います。
けれど机でするようないわゆる「お勉強」にも、それでしか得られない視点があるように感じます。
他人の「勉強なんて意味ないよ」という意見をウのみにして止めてしまう。
少なくとも、それはもったいないんじゃないでしょうか。
意味があるかどうかはっきりしないなら、やるだけやって結果を出してみる。
それから、自分にとって本当に役に立たないか判断してみても良いんじゃないかと思います。
(こちらの記事↓も良ければ是非。)
色んな事があると思いますが、頑張っていきましょう。